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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)15997号 判決

原告

斉藤節子

被告

小林栄

ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自二七五〇万円及びこれに対する昭和六二年一二月五日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二請求の原因

一  本件事故の発生

被告小林栄(以下「被告小林」という。)は、昭和六〇年七月二四日午前八時五五分ころ、普通貨物自動車(習志野一一い六二一七号、以下「加害車両」という。)を運転中、埼玉県久喜市河原井町五丁目一番地付近の県道下早見菖蒲線道路上の駐車禁止区域左端に加害車両を停車させてその場を離れたところ、後続の亡斉藤次郎(以下「亡次郎」という。)運転の普通乗用車(大宮五五ろ八六五五号、以下「被害車両」という。)が加害車両に追突し、亡次郎をして頭部外傷の傷害を負わせ、昭和六一年二月二日、本件事故に起因する外傷性てんかん発作による急性心不全のため死亡させたものである。

二  本件事故現場の状況

1  本件事故現場は、駐車禁止の指定がなされており、道路上にその標示が施されているところである。

2  加害車両が駐車していた箇所は、菖蒲方面から大宮栗橋線に向かつて左カーブのちょうど終わつた地点であり、並木が道路両側に植え込まれているため、菖蒲方面から来る後続車にとつては甚だ見通しの悪いところである。

3  本件事故現場付近は、久喜菖蒲工業団地に面した道路であるため、午前八時から九時の時間帯は資材等を運搬する大型車両を含む貨物自動車が、上り下りとも頻繁に行き交う交通量の非常に多いところである。

三  被告らの責任

本件事故発生地点は、道交法四五条に定める駐車禁止区域であり、かつ、現場が左カーブ終了点のため、見通しの悪い状況にあり、交通量の極めて多い道路であることを考えれば、このような場所に車を停車させることは、道路交通の安全を害し、後続の車両がカーブを曲がつた途端、反対車線を走る対向車に気を取られ、左に寄ろうとして停車中の車両に接触ないし追突するというような交通事故を誘発させる危険を十分予測し得たのであるから、被告小林は、かかる場所での駐車を避け、本件事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠つたもので、被告小林に過失があり、被告丸力運輸株式会社(以下「被告会社」という。)は、被告小林の雇主であり、加害車両の所有者であつて、本件事故当時加害車両を自己のために運行の用に供していたものである。

亡次郎は、本件事故当時、カーブのため加害車両の駐車に気付かず、反対車線を走る対向車を気にしつつ走行したところ、加害車両に接近しすぎて被害車両の前方左側部分を加害車両の後方右側部分に追突させて本件事故にあつたものであり、加害車両が予想外のこのような危険な場所に駐車することがなければ亡次郎を死に至らしめることはなかつたものである。

四  損害

1  逸失利益 五三四二万円

亡次郎は、本件事故当時満一九歳の健康な男子であり、独協大学外語学部一年在学で、昭和六四年四月には卒業して就職できる予定であつたから、本件事故によつて死亡しなければ二二歳から六七歳まで就労可能であるので、その逸失利益を昭和六一年賃金センサス第一巻第二表旧大新大卒平均所定内給与額、その他特別給与額をもとに、その五〇パーセントを生活費として控除した額につき新ホフマン式計算によつて法定利率五分による中間利息を控除すれば、逸失利益は五三四二万円となる。

2  葬儀費用 五〇万円

原告は、葬儀費用として五〇万円を要した。

3  慰謝料 一〇〇〇万円

亡次郎は、原告の次男で、新聞記者となることを夢見て大きな希望に燃えていたもので、夫と死別後養育に励んできた原告も亡次郎の成人を楽しみにしていたが、急な事故死により、原告は失望と悲嘆のどん底に突き落とされ、精神的苦痛を被つた。この精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇〇万円を下まわるものではない。

4  弁護士費用

弁護士費用は、請求額の一割とするのが相当である。

五  よつて、原告は、被告らに対し、前四項1ないし3の損害額合計六三九二万円のうち二五〇〇万円と、その額に弁護士費用として一割の二五〇万円を加算した二七五〇万円を限度として請求することとし、この支払いと、本訴状送達の日の翌日である昭和六二年一二月五日から支払い済みまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払いを求める。

第三請求の原因に対する認否

一  請求の原因一項については、亡次郎の死亡が本件事故に起因する外傷性てんかん発作による急性心不全であることは否認し、その余は認める。

二  同二項については知らない。

三  同三項については、被告会社が、被告小林の雇主であり、加害車両の所有者で、本件事故当時加害車両を自己のために運行の用に供していたことは認めるが、その余は否認する。

四  同四項については否認する。

五  同五項については争う。

第四被告らの主張

一  本件事故と亡次郎の死亡との間には相当因果関係がない。

昭和六〇年七月二四日、本件事故発生後、亡次郎は、新井病院に救急車で搬入され、レントゲン検査、頭部CT検査の結果、いずれも異常が認められず、翌日の昭和六〇年七月二五日に右病院を退院した。その後一日通院し、昭和六〇年七月二八日から同年八月七日まで一一日間右病院に再入院し、同年八月八日から同年一二月三一日まで一四六日中九日通院した。その後、昭和六一年一月一日から同年一月五日まで右病院に再々入院したが、昭和六一年二月二日、急性心不全により死亡するに至つた。

右のような経過から、亡次郎の初診時には意識障害がなく、脳内出血は認められず、神経症状も普通であり、受傷日の翌日退院していることから、脳に対する外傷の影響はなかつたものと判断せざるをえず、本件事故と急性心不全との間に相当因果関係は認められない。

二  本件事故と亡次郎の死亡との間に相当因果関係が認められるとしても、本件事故は、道路に駐車中の加害車両に被害車両が追突したもので、亡次郎には前方不注視の過失が認められるので、亡次郎の損害額算定に際しては右過失を斟酌すべきである。

第五被告らの主張に対する反論

本件事故と亡次郎の死亡との間に相当因果関係がないとする点は争う。

亡次郎は、昭和六〇年七月二四日の新井病院における初診時において、意識障害がなく、レントゲン検査、CT検査において特段の異常が認められなかつたものの、本件事故による受傷として頭部打撲、鼻出血症の診断がなされていた。翌二五日に退院したものの、三日後の朝になつて気分が悪くなり、呼吸困難になつて痙攣発作を起こすなど容態に異常を来して再入院し、右臨床症状の所見と頭部CT検査、脳波検査等により外傷性てんかんの診断がなされ、本件事故による後遺症が生じたことが明確になつた。その後、亡次郎は、てんかんによる意識消失等の発作のため新井病院に入通院を繰り返しつつ、抗てんかん剤の投与を受け、治療を続けていたところ、昭和六一年二月一日深夜、自宅にて意識消失に陥つて、救急車により翌二日午前四時四五分ころ、新井病院に搬送され、激しい全身痙攣の重積発作の結果、心肺機能が停止し、頭部外傷後遺症を原因とする急性心不全の病名により同日八時二八分死亡したものである。亡次郎のてんかんが、本件事故に起因する外傷性のものであることは、本件事故以前亡次郎には、てんかんの既往症がなかつた事実から証明される。

第六証拠

本件記録中証拠関係目録記載のとおりである。

理由

一  原告は、亡次郎の死亡が本件事故に起因する外傷性てんかん発作による急性心不全のためである旨主張し、被告は、これを否認する。

本件事故後、亡次郎の死亡に至るまでの経緯については、成立に争いのない甲第一号証の二、三、甲第二号証、甲第五号証の二、甲第七号証、甲第一〇号証ないし甲第一八号証、乙第一号証、乙第二号証、乙第六号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第三号証、甲第四号証、甲第五号証の一、三、甲第八号証、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  亡次郎は、昭和六〇年七月二四日午前八時五五分ころ本件事故により受傷し、本件事故現場から救急車により午前九時一三分ころ新井病院(埼玉県久喜市中央二丁目二番二八号)に搬送され、頭部打撲、鼻出血症の診断を受け、精密検査の必要があるとされ、入院措置が取られ、頭部XP検査及び頭部CTスキヤンが施行された。画像診断の結果、脳内出血は無く、神経症状も普通であり、ケフラール、ノイエル、ナイキサン、ニコラーゼの投与を受け、全身状態も良好であつたことから、翌二五日軽快退院となる。

2  昭和六〇年七月二八日、亡次郎は、当日朝から布団の中で気分が悪くなり、そのまま意識がふつと無くなつた。意識は秒単位の短時間で戻り、母親の言うことにうなずくようになつた。発作前には胸が苦しく呼吸困難となり、胃が締め付けられるようになつた。このような症状の発作が一時間程の間隔で四回繰り返されたことから、新井病院に入院した。同病院で胸部透視が施行されたが、気胸は無く、血圧は一一〇ないし七八mgで、頭部CTスキヤン、脳波施行の結果、事故後意識障害と診断され、ノイエル、コンスタン、ヒタントール、チヤミノーゲンの投与を受け、症状が改善され、八月七日軽快退院となつた。

3  昭和六一年一月一日、亡次郎は、大みそかの夜から友人と徹夜で話をしていたが、午前五時三〇分ころ発作を起こし、意識消失となつた。発作後、友人が亡次郎に、いま発作があつたと言つたので、亡次郎は、隣室にいた母親に、いま発作があつたと告げた。更に午後七時四〇分ころけいれん発作があり、新井病院に入院した。ヒスタトール、コンスタンの投与を受け、脳波検査、頭部CTスキヤン施行の結果、外傷性てんかんと診断され、対症投薬の結果改善されたことから、一月五日軽快退院となつた。

4  昭和六一年二月二日、亡次郎は、深夜に胸が苦しくなつて目が覚め、その後一〇秒間程意識が消失し、午前四時四五分ころ救急車により搬送され、新井病院に入院した。来院時、意識無く、呼吸は停止し、自動呼吸装置により酸素吸入、呼吸心拍装置により呼吸心拍、更に救命のための気管内挿管、カウンターシヨツク、ノルアド心内注を施行するも改善されず、同日発作後約四時間三〇分後午前八時二八分死亡した。

三  以上の経緯を踏まえ、前掲証拠にもとづき亡次郎の死亡が本件事故に起因する外傷性てんかんであるか否かについて判断する。

1  外傷性てんかんとは、外傷を原因として発生したてんかんである。外傷性てんかんを確実に診断するための基準は、まだ確立されていないが、てんかんであるということの意味は、脳から発作が起こり、それが慢性であり、反復性であるということである。また、外傷を原因とするということの意味は、全く正常であつた脳が外傷によつて、てんかんを起こすような脳に変質したということであり、外傷による脳損傷で脳内の神経回路に異常が生じ、そこから異常な発作発射が起こるようになつたということであるとされている。

そこで、亡次郎の発作がてんかんであるか否かを判断し、次に外傷を原因とするか否かを判断する。

2  てんかんの診断根拠は発作そのものであり、脳波は診断の参考にはなるが絶対的な根拠にはならないとされている。ところで、亡次郎の発作をみるに、昭和六〇年七月二八日の発作は、当日朝布団の中で気分が悪いと言い、そのまま意識がふつと無くなつた。四肢の突つ張りやけいれんがあつたかどうかは不明である。意識は秒単位の短時間で戻り、母親の言うことにうなずくようになつた。このような発作が一時間程の間隔で四回繰り返されたため、新井病院に入院となつた。入院後も同様の発作が一時間程の間隔で何回かあつたというものである。昭和六一年一月一日の発作は、大みそかの夜から友人と徹夜で話をしていて、一日午前五時三〇分ころ、発作を起こした。発作後、友人が亡次郎に対して、いま発作があつたと言つたので、亡次郎は、隣室にいた母親に、いま発作があつたと告げた。発作は友人が目撃しているが、経緯からみて、短時間ふつとなる発作だつたのではないかと考えられる。同日午後七時三〇分ころ、再び発作があり、けいれんもあつたと思われる。新井病院に入院し、入院後は発作はなかつたようである。昭和六一年二月二日の発作は、深夜胸が苦しくなつて目が覚め、その後一〇秒間意識が消失した。午前四時四五分ころ、救急車で新井病院に搬送され、入院したが、意識なく、呼吸は停止し、自動呼吸装置により酸素吸入等の措置が取られたが、改善されず、同日発作後約四時間三〇分後の午前八時二八分ころ死亡した。

以上の三回の発作のうち、比較的様子が分かるのは一回目の発作であるが、それによれば、この発作は、自律神経症状を前駆として、意識減損を起こし、時にけいれんを伴うもので、発作型の分類としては複雑部分発作といわれるものに属し、側頭葉てんかんに最もよく見られる発作であるので、側頭葉型のてんかんであろうと推定される。二回目の発作も、早朝のものは、ふつとなる発作であつたと考えられるので、やはり側頭葉型のものだつたのではないかと想像される。三回目の発作は、夜中に胸が苦しいと言つて目が覚めており、これは一回目の発作と同じようであるから、側頭葉型のてんかんと想像される。

次に、脳波は、てんかんの診断に参考になるが絶対的なものではないとされているが、亡次郎の脳波検査は二回施行されている。一回目の脳波所見によると、基礎律動は一〇Hzの中等度振幅のアルフアー波と少量の速波よりなる。アルフアー波に多少の不規則性があるが、てんかん性異常波としての徐波、棘波はみられない。過呼吸で、ごくわずかの七Hz前後のシーター波の混入がみられるが、大きい徐波の群発はない。記録上は、ほぼ正常脳波といえる。二回目の脳波所見も、基本的には前回と同じで、基礎律動は不規則なアルフアー波と少量の速波よりなり、ごく少量の七Hz前後のシーター波の混入があるが、てんかんを示唆する高振幅徐波の突発性群発はない。左の頭頂部に棘波を疑わせる鋭い波が二、三度出現する、過呼吸ではシーター波の軽度の増強があるが、やはり突発性徐波の群発はない。過呼吸時にも棘波様鋭波が左の頭頂部に一、二度みられた。以上の脳波所見によれば、積極的にてんかんを示すものではなく、てんかん性異常脳波とは断定できず、正常、異常の境界領域の脳波という以外にない。もつとも、てんかん患者で脳波にてんかん性異常波を示さない例は決して珍しいものではなく、側頭葉てんかんにその例が多い。

もし、てんかんでないとしたら心臓発作を考えなければならないが、三回目の発作後、新井病院に着いたとき、意識はなく、呼吸も止まつていたが、心臓は動いていたと認められるので、心臓発作は考えられない。

以上のことからすると、亡次郎は、てんかんであつたとするのが合理的である。

3  更に、外傷性てんかんと言うためには、脳の損傷によつて脳内の神経回路に異常が生じ、てんかん発作を起こす源ができなければならない。もつとも、確かに頭部外傷に由来するといえるてんかんは少なく、閉鎖性頭部外傷によるてんかんは希である。外傷後てんかんが高率に発生する条件としてあげられるものは、陥凹頭蓋骨骨折、急性脳内出血、二四時間以上続く外傷後健忘症、硬膜の裂傷かあるいは局所神経徴候の不存在である。意識消失期間とてんかんの発生率には相関関係があると考えられ、意識消失期間が二時間以下では約二〇パーセントの発生率であるが、七日以上では約五三パーセントである。また、急性硬膜下血腫、脳内出血等の合併症のある場合は発生率が高まる。ところで本件事故による頭部外傷の程度をみるに、新井病院のカルテには、初期意識喪失マイナス、本日特に症状マイナス、神経学的に異常なし、CT正常像、全治約三週間との記載がなされている。頭皮裂傷や皮下血腫等についての記載はない。当日撮影のCTフイルムには出血を示す高吸収領域も浮腫や軟化を示す低吸収領域もみられない。また、脳腫瘍もない。脳の奇形も存在しない。頭部X線写真も異常はみられない。鼻出血があつたが、新井病院で翌日には亡次郎を退院させているところからすれば、これは頭蓋底骨骨折によるものではなく、鼻の打撲による単純な鼻出血と考えられる。以上から判断すると、本件事故による亡次郎の頭部外傷は、軽度なものであつたと推定され、脳損傷を起こし得るほど強くなかつたと考えられる。また、亡次郎の最初の発作は、外傷後四日目に起こつているが、外傷後一週間以内の発作は、早期てんかんといわれ、真の外傷性てんかんである遅発性てんかんとは区別される。早期てんかんは、単純なけいれん発作で、脳が衝撃を受けたために起こつた一時的なけいれん性反応であつて、側頭葉型の複雑部分発作を起こすことはない。亡次郎の右の発作は、既に完成されたと見なしうる側頭葉てんかんが受傷後四日目に起こつたわけであるから、これは、むしろ外傷性てんかんを否定する根拠になる。そして、脳波はほとんど異常なく、脳損傷も、ほとんど無かつたと推定される。

以上考え合わせると、本件事故によつて外傷性てんかんが起こつたものとは考えられず、亡次郎のてんかんは、もともと本人が潜在的にてんかんを持つていたと考えなければ説明できない。もつとも、軽い外傷といえども、基礎にてんかんの素因があれば、それを悪化させ、時には発作を誘発させることはあるが、外傷とは関係なく、全く偶然にてんかんが起きたのではないかという疑問を完全に否定し去ることはできない。

四  以上の次第であるから、亡次郎の死亡が本件事故による外傷性てんかんに起因するものとは認められないので、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 原田卓)

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